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大乗寺について
Outline of Daijyoji

◆大乗寺いろいろ◆

円山応挙とその弟子達による165面の障壁画や木造十一面観音立像など(すべて国指定重要文化財)が残され、客殿の障壁画は計算しつくされた配置により、立体的な曼荼羅を構成しています。
 
十一面観音立像
さらに絵画が地域、建物、空間、宗教と渾然一体になる、応挙絵画の「場」としての思想が、完成しています。(バーチャルツアーの項をご参照ください。)
さながら円山派・四条派の美術館としての様相を呈することから「応挙寺」「円山応挙美術館」と称され多くの人々に親しまれています。

◆新聞記事紹介◆


大乗寺をより理解いただくために、新聞に掲載された記事をご紹介いたします。

2005年2月5日 朝日新聞(但馬版) デジタル再製画がスタート!大乗寺で起工式
2005年2月5日 神戸新聞
2005年2月5日 毎日新聞(但馬版)
2005年2月5日 日本海新聞
2005年2月5日 産経新聞(但馬版)
2005年2月5日 読売新聞(但馬版)

2004年4月17日 朝日新聞[夕刊](大阪版) 障壁画のデジタル再生画について紹介

2004年2月15日 毎日新聞(大阪版)      デジタルミュージアム開設を紹介

2004年2月13日 日本海新聞          デジタルミュージアム開設を紹介


■真言宗
弘法大師(空海)の立教開宗による、仏教の神髄の教えを説く密教の宗派。
平安時代の初めに中国から日本に伝えられ、密教の根本の仏は、宇宙の本体であり絶対の真理である「大日如来」。
■真言宗の教え
宇宙のすべてのものが大日如来の「いのち」の顕れとして平等であり、相互に助け合うことによって、その「いのち」を生かし、すばらしい個性を発揮すること。すべての人々が、菩提の心を因として、慈悲の心を根本として、平和社会の建設を目指すこと。「生かせ いのち」を基調テーマに、弘法大師の「共利群生」(きょうりぐんじょう)という共存共生の精神に立ち、すべての「いのち」の世界を生かす福祉社会を目指す。
■高野山真言宗
弘法大師を宗祖として金剛峯寺(こんごうぶじ)(和歌山県高野山)を総本山とする真言宗の中心宗派。弘法大師の奥ノ院御廟(ごびょう)を信仰の源泉とし、壇上伽藍(だんじょうがらん)を修学の地として、真言宗の教えと伝統を今日に伝えている。
■弘法大師(空海)
灌頂名(かんじょうめい)=「遍照金剛」(へんじょうこんごう)。
弘法大師の御宝号(ごほうごう)=「南無大師遍照金剛」(なむだいしへんじょうこんごう)。宝亀5年(774年)に現在の香川県善通市で誕生し、未来永劫に渡って衆生を救済すると誓願し、承和2年(835年)に和歌山県高野山の奥の院で入定(にゅうじょう)。
■大乗寺の歴史
行基菩薩自ら聖観世音菩薩立像を彫刻され、祀ったのが始まり。
戦乱の余波で一時衰退したが安永年間、密蔵法印が伽藍を再建した。
西国薬師霊場第二十八番札所に選ばれている。
■香美町
兵庫県の日本海側に面し、城崎温泉と湯村温泉の中間に位置する漁業、水産加工業が主な産業の町。松葉ガニでも有名。
■円山応挙
(1733-1795)
江戸時代、京都の人気絵師。西洋と東洋の画法を確立して日本画における写生派の祖として仰がれている。
■志賀直哉
・与謝野寛
・与謝野晶子
志賀直哉は「暗夜行路」の中で大乗寺のことを「応挙がいちばん多く描いていた。その子の応端、弟子で呉春、芦雪もあり、それぞれおもしろかった」と紹介している。また与謝野寛は「羨まし 香住の寺の筆のあと 作者みずからたのしめるかな」と詠みあげ、与謝野晶子も「いみじけれ みろくの世まで ほろぶなき 古き巨匠の丹青のあと」と絶賛している。
■曼荼羅
宇宙の真理を、形や色などで具体的に表現したもの。密教では、菩提の境地の義に解する。
■立体曼荼羅
曼荼羅には、(1)大曼荼羅 (2)三昧耶曼荼羅 (3)法曼荼羅 (4)羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)の4種が有る。
羯磨曼荼羅(立体曼荼羅) は、諸仏像を経典に遵って、実際に安置することで仕上げられた曼荼羅をいう。
大乗寺の場合、襖で仕切られた空間に、仏の存在を絵画で象徴し、仏像を安置したと同じ効果を持たせている。