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円山応挙について
About Ohkyo Maruyama

◆円山応挙 年表◆

西暦
年号
年令
 
1733





亨保十八年 0才 5月1日、丹波国穴太(あのう)村(京都府亀岡市)の農家に円山藤左衛門の次男として生まれる。
1747 延亨四年 13~14才 京都にでて呉服屋の小僧や、玩具商で人形の彩色をしたという説あり。
1749 寛延二年 16~17才 京都の石田幽汀に入門し狩野派の画法を学ぶとともに、古画の模写をする。
1755 宝暦五年 22才   
1759 宝暦九年 27才 眼鏡絵の製作に携わるか。
1764 明和一年 32才  
1765 明和二年 33才 「付立て」の筆法を完成「雪松図」描く
1766 明和三年 34才 息子応端誕生
三井家や園城寺円満院の祐常門主の援助を受ける。
この年より応挙を名乗る。
1768 明和五年 36才 「平安人物志」画家の部第二位に挙げられる。
京都四条に移り住む
1781 天明元年 49才 「牡丹孔雀図屏風」描く
1782 天明二年 50才 四条堺町に住む
1783 天明三年 51才 「瀑布図」描く
1784 天明四年    
1786 天明六年 54才 冬、芦雪を南紀に送る
大乗寺中興を目指した密蔵法印が他界
翌年、後を継いで再建に乗り出した密英上人が京都に出かけ、応挙に襖絵製作を依頼
1787 天明七年 55才 ■大乗寺第1回揮毫 「郭子儀図襖」「山水図襖」
1788 天明八年 56才 京都で大火事、完成間近の孔雀図灰に帰す。
1789 寛政元年 57才 ■大乗寺第2回揮毫 「龍門鯉魚図」
1791 寛政三年 59才 ■大乗寺第3回揮毫 
1793 寛政五年 61才 健康を害し歩行困難になり、眼病にも罹る。
1795 寛政七年 63才 ■大乗寺最終揮毫 「孔雀図襖」

7月17日他界。
四条大宮悟真寺(現在、太秦に移転)に葬られる。